〇津波のきた町、それが私たちの故郷〇日本列島の北の片田舎にある大谷地区。ここは被災地である。2011年3月11日午後2時46分 地震・津波発生たくさんの犠牲が出たこのときの津波。その犠牲はたくさんの尊い命だけでは留まらず、広く長い砂浜と松林をもつ大谷海岸や「日本一海に近い駅」と言われた大谷海岸駅までも失ってしまった。大谷地区の方々の声大谷地区の人々は復興のために立ち上がった。10年目を目標に復興作業を始め、たくさんの会議や活動を進めた。大谷地区の人々の中心となったのは大谷里海づくり検討委員会の皆さん。防潮堤で砂浜を失うのを懸念して、国道兼防潮堤にするなど大谷地区の想いを反映させた「里海づくり」が進められている。ー10年後ー 国道兼防潮堤 開通2021年3月28日 新道の駅オープン2022年6月19日 大谷海岸海開き 昔の賑わいにはまだ及ばないが甚大な被害を受けた大谷は復興しつつある! <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /> <br /></div><br />
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