鹿中 学校生活

東日本大震災から9年 忘れないように

  
 昨日は3.11東日本大震災から丸9年の節目の日でした。災害の被害に遭われた方々に心より哀悼の意を表します。また,これまでご苦労されてこられた方々に改めてお見舞いを申し上げます。今年は新型感染症のために,追悼行事が中止となりました。そのため,大事な節目の日に十分に意を尽くせないことになってしまいましたが,この国の人々にとっては忘れてはいけない特別な一日でした。
 今後の教訓とし,これからの鹿折中学校を創造するために,いくつかの写真で当時の学校を確認しておきたいと思います。あのとき,鹿折地区中心部は津波に襲われた後,火災が発生したため,地域は甚大な被害を受けました。大きな船も打ち上げられ,信じられない状態になりました。体育館は避難所となり,大勢の皆さんが助け合って生活しました。校庭には自衛隊車両が集まって拠点となりました。校舎が昭和58年に現在の大峠山に移転していましたから,学校は直接の被害を受けませんでした。しかし,鹿折川沿いの昔の校舎でしたらたいへんなことになっていたと思われ,ぞっとします。
  
 当時の生徒たちには不幸にして1名の犠牲者が出てしまったそうですが,災害の混乱にあってもしっかりと頑張って来たことは立派でした。生徒数は現在の倍以上だったようです。写真のように,自分たちでできる活動は手伝い,教室で非常食を頂き,教室に毛布を敷いて寝泊まりする,当初はそんな生活を余儀なくされました。しかし,困難に屈せずに頑張ってきた鹿折中生です。
 卒様式は下の写真のような式だったそうです。停電の中でしたから薄暗く,体育館は避難所となっているので使えないため,北集会室で様々な服装のままで卒業式が行われました。当時,こんな時だからこそと,鹿折中が大事にしてきたものがあったそうです。それは「笑顔」と「挨拶」でした。これを合い言葉にして当時は頑張ってきたと言います。その後,校庭に仮設住宅ができて十分な運動が難しくなっても,生徒たちはよく頑張りました。
 9回目の節目の3.11に当たり,しっかりと思い出しておきたいことです。そして,このスタートラインから9年を歩んだことを誇りつつ,感謝を忘れず,新しい学校づくりに励みたいものです。生徒のみなさん,先生方,今日の意味をしっかりと捉え,中身のある学校生活にしていきましょう。いよいよ来年は10年目です。