鹿中 学校生活

あの「3.11」から8年が経ちます ①

 2011年(平成23年)の3月11日から,もうじき丸8年が経とうとしています。暫く前から,もうそろそろ「あの日」がくるなと思いながら暮らしている方々も多いのではないでしょうか。
 
 当時の本校では,不幸にして3年生の生徒1名が行方不明(後に死亡届)となり,保護者2名がお亡くなりになりました。また,災害による家屋の倒壊・流出は84戸(約40%)で,一部損壊は39戸(約20%)でした。ご承知のとおり,津波と火災により甚大な被害を被った鹿折地区です。当時は全く信じられない光景が広がっていました。(写真左)あの「共徳丸」が打ち上げられていた場所が鹿折地区です。(下の写真)あれから8年,大人も子どもも言葉に表せない苦しみを乗り越えてここまでやってきました。そして頑張ってきました。今なお通学路が不十分のため,スクールバスで通学する生徒は4名います。鹿折地区を上空から見るとかさ上げが終わり,新しい建物がようやく建ち始め,地域には明るさや活気が戻ってきているように感じられます。新しい町が誕生しつつあります。(上の写真右)
 全国の多くの皆様からお励ましをいただきました。お陰様で今日の私たちがあることを,改めて感謝したいと思います。